竜崎は右手で両脇と足下を示した。腕を上げたそのときに、骨張った手首を手錠が滑り落ちる。鎖の硬質と同じくらい無機的な雰囲気を持っていて、そのくせ人間的すぎる体温の触感を想起させるのは相変わらずだった。
「基本の操作は左手のレバー、右手のスティック、両足のペダルで行います。私も名称は知りませんが、働きさえわかれば問題ありません」
 言って左手でレバーに触れる。完全に閉じられていないドアから忍び込む夜気に、一番近い場所だった。竜崎自身はその冷え冷えとしたすきま風を気にした風もない。こちらが眉をひそめたくなるような薄着にも頓着せず、露出した首筋と足先を冷気になぶらせている。指先でレバーをつまんで大雑把な説明を始めた。
「このレバーで上下動です。引いて上昇、押して下降」
「…………」
 それを聞きながら、月はやおら横を向いて運転席の方に身体を割り込ませた。
 腰を浮かせ、左手を運転席の頭の脇について支えにし、ドアに右手を伸ばす。顔の真ん前、膝の上を通過されることになった竜崎は不快げに言葉を切った。
 顔を傾けて促す。
「続けてくれ」
「……方向は両足のペダルで決定します。これも適当に動かせばわかります」
 月の上半身が膝の上にあるのを気にした両足が居心地悪そうに身じろぐが、それでも強情に姿勢を変えようとはしない。月は右手でしっかりとドアを閉めた。冷気の侵入が阻まれ、機内が密閉されたのが声の響きではっきりわかる。
「前後左右の移動は右のスティックで」
 説明と一緒にスティックに右手が添えられる。月は、今度は右手を計器類のパネルについて、体ごと運転席と相対した。席の上に身を乗り出したまま、もう片方の掌を竜崎の右手に重ねる。
 そうして囁くように呟いた。
「冷えてる」
 睨まれるように向けられた視線は、運転席と助手席の間にざらりと垂れ下がる鎖のように愛想がなかった。冷えて平熱を失った手は、そのほうがよほどこの男の風貌には似つかわしい。いかに部分的なパーツが生身の息づかいを感じさせようとも。
 竜崎は呆れもあらわに吐き捨てた。
「聞く気がありませんね」
「そんなことはない」
 無意味な否定はもちろん口に乗せるだけだ。月は言葉とは裏腹にすっと目を細めると、上半身をひねって顔を近づけた。都会の闇よりも深い双眸は、拒否も許容も表さず視線を受け止める。その漆黒に吸い寄せられるようにして、月は冷え切った唇に軽く口づけた。同じ夜気にさらされていたはずの自分の体温がおそろしく高いことに気づく。
 熱に浮かされた勝利の昂揚に、警告のような冷たさが心地よい。顔をわずかだけ離して、月は手錠の鍵を計器の上へ放った。
 呟く。
「さっきも言ったが」
 走馬燈のように駆けめぐる記憶の数々。ひどいセンチメンタリズムだ。やはりどこかの線が切れてしまったのだろう。その端々にちらりちらりと映り込むのは、ずっと求めてやまなかった片翼だった。それだけが、きっとそれだけが足りない。
「感慨深くて」
「……長期間の拘束ご苦労様でした。謝罪はしかねますが」
 視線を逸らしながら吐かれる不遜な台詞に微苦笑する。嘲弄も含まれていたかもしれなかった。そうだ、おまえは正解も知っているし、それが当たっていることも知っている。だというのにこのざまはなんだ。
 おまえも不完全だと、そういうことだ。片翼なのは僕だけじゃない。
「そっちこそ、お疲れさま。大変なのはこれからだが」
「そうですね」
 相づちについで。竜崎は何か思いついたように口の端を持ち上げた。
 見知った表情だな、と月は胸中で独語した。こういう顔をするときの竜崎は、たいていこちらの懐に真正面から突き込んでくる。
「明日からまたよろしくお願いします。――手錠なしで一緒に捜査をするのはちょうど五ヶ月ぶりですか」
 挑発的な表情と、どうということのない言葉が釣り合わない。月が眉をひそめたそのとき、竜崎はさらに言い募った。
「久しぶりですね」
 ――キラ。
 視界がぶれた。含みを持ちすぎた竜崎の表情が脳裏に鮮明に灼き付けられる。目眩がしそうなほどの、怒濤のような情動がこみ上げてくる。
 それが歓喜であるとわかったのは、腹の底から絞り出すようなかすれた笑いが漏れてきたからだった。口元が震える。
 なにもかも筒抜けだということだ。今のは夜神月に向けられたのではない、キラに向けられた言葉だった。聞こえないはずの声まで届いたのだ、記憶を取り戻したことなど、その瞬間に察したに違いない。洞察力と言うにはあまりに本能的すぎる嗅覚。これは挨拶代わりの宣戦布告とでもいったところか。
 月の策略がここまで思い通りだということは、当然もう察知されているのだろう。その上で、この余裕だ。はったりや見栄であるのだとしても。
 月はぐらつく全身を押しとどめながら、運転席のほうへ移動した。半ば意識外の台詞が唇からこぼれ落ちる。
「ああ――本当に、久しぶりだ」
 座席の縁についた膝で中腰の姿勢を支えて、竜崎の頭を背もたれに押しつけ深く口づける。シートに沈むような形になった竜崎は、今度はしっかりと応じてきた。背もたれに手をつき舐めるように大きく貪れば、身動きの取れない体勢から積極的に食らいついてくる。
 頭を押さえつけられて俯いた口元は、こじ開けるまでもない。求めるように開かれたくちに、顎を掴んだ親指を侵入させる。唇は重ねたままその指で舌先に触れると、竜崎はそれにしゃぶりついた。ぴちゃりと水音を立てて吸い付くたび、自分の行為に陶酔したように睫毛が震える。
 限界まで高い純度の同調に基づいた応酬。まるで左右対称の両翼のように連動するそれ。
 ただ少し、向かい合った間にあるしゃがんだ足が邪魔で、月はそれを大きく押し開いた。
「、は……っ」
 バランスを崩してますます座席に埋まっていく竜崎が、そのためだけでなく呼気を乱す。口を離す合間に竜崎の顎を伝っていく唾液をちゅっと吸ってから、月はまた唇全体にかみついた。
 吐息に混じった声が聞こえてくる。
「ヘリ、は、もう。いいんですか」
「もういい。飛びたい、それだけだ」
 告げて身体を離す。運転席に全身を預けた竜崎がいぶかしげに見上げてくるのを無視して、月はその骨張った腕を掴んで引き上げた。半回転させて、背もたれと向かい合った状態で膝立ちにさせる。ついでに自分も同じような格好で運転席に乗った。狭い座席の上で、薄い身体を挟み込むように密着する。
 肩越しに振り返った竜崎が、至近距離で濡れた唇を開いた。
「戻りませんか」
 提案ではなく、ただの疑問という語調だったので、月はあっさりと首を振ってみせる。竜崎はさして気にしたふうもなく、正面のシートに目を向けて呟いた。
「汚れます」
「どこだって同じだ」
 一理ありますと実に投げやりな返事を受ける。竜崎もそもそも非難する気で言ったのではないのだろう、正面に手を回しておとがいを捕らえ、肩越しに口づけると、舌を差し出してきた。どことなく身勝手なその仕草。
 角度に無理がありすぎて、自分でもどこにキスしているのだかわからない。頬から顎にかけてずるずると滑り落ちるように唇を移動させながら、月は竜崎の服の中に右手を突っ込んだ。座席と、それに押しつけられた身体との間を無理矢理這い上がって、胸の突起を探り当てる。中指で小さく触れただけで硬くなったそれをひねるようにつまみ上げると、竜崎は息を詰めて背もたれに額を押しつけた。
 先端を指先で弄びながら、左手でシャツをめくり上げる。そうやって露わになった肩胛骨を月は見つめた。
 骨張って浮き出た形。明かりといえば外から入ってくるビル群の照明だけの機内でも、くっきりと陰影がついている。月の右手の動きに反応してかすかに身じろぐその様は、どこか負傷した鳥類を思わせた。
 脳裏を浸食するある幻覚に誘われるまま、薄い背にてのひらを当てる。親指で緩慢に肩胛骨のラインを辿って、逃げるようにひねられたそこに顔を寄せた。
 そしてそのまま何の前触れもなくかみつく。
「ッ痛――あ、」
 痕をつけるなどという生やさしいものではなく、出血するぎりぎり一歩手前の傷が痩せた背を彩った。同時に指先で弄っていたものをぎゅうと押しつぶす。右の乳首と左の背中を一度に責め立てられた竜崎は、運転席に強くしがみついた。右の腕から伸びた手錠の鎖がふたりの間でこすれる。
 逃れようと伸び上がった身体を、腰を抱えて引き戻し、執拗に肩胛骨をねぶる。たまりかねた竜崎がちいさく呻いた。
「痛いん、です、が」
 歯を立てた隙間から舌先で骨の輪郭をなぞる。そうやって薄い背中に顔を埋めながら、月はうわごとのように、声には出さずに繰り返した。
 空を飛びたいんだ。完全な両翼で。以前までの片翼なんかではなく。
「夜神くん」
 抗議の声。月は背中から顔を離して、かがめていた上半身を起こした。後ろから黒髪に鼻先を寄せ、耳元を舐め上げるように口づける。さんざんいたぶった右胸を解放して、つと手のひらを滑らせた。
「っ、ぁ――」
 放られていた左に軽く触れた瞬間、身震いとともに吐息が漏れる。ぴくんと揺れた右手が振動を手錠に伝え、鎖が金属音を立てた。それは予想外だったらしく、座席に頬を当てて顔を背ける。
 月はその右手首に唇を押しつけて、やはりひどく軽く左胸をくすぐった。
 途端竜崎は肩をすくめると、手を避けるように身を引いた。強くなぶっていた右よりも反応が過敏なのは、そのギャップのせいだろう。しかし身体を引くということは、月のほうに寄せるということになる。それに気づいた竜崎がとっさに振り返る前に、月は後ろから腰をぐっと押しつけた。
「ん――……ッ」
 その熱に嘆息するように漏れる声は鼻にかかって甘い。生身で触れたわけでもないのに、月自身もぞくりと背筋が粟立つのを感じた。
(違う)
 背筋ではない。ざわめくように疼いているのは、右の背、肩胛骨だった。
 足りない片翼を喚んでいる。
 狂おしさに、後背から抱きしめる腕に力を込める。衣服の上から構わず腰を揺すると、竜崎は短く鳴きながら背もたれにこめかみをこすりつけた。下肢を這い上がる痺れが記憶を刺激して、それがまた熱を呼び覚ます無限ループに陥る。
 月は左胸から下腹にかけてを右手で撫でおろし、着衣の奥に指先を滑り込ませた。
「あ……」
 直接触れられた竜崎が、深く響くテノールをふるわせる。存在を主張するそれを引きずり出して指を絡めれば、すぐに熱く形を取り始めた。不規則に痙攣する先端を、親指を添えて背もたれに押しつけ、
「っ、めて、ください」
 半眼にかおを歪めて振り返る竜崎に、月は一瞬だけ手の動きを止めた。
「どうしてだ」
「汚れ、ます、……ん、っ……離し――」
 途切れた言葉は嬌声に飲まれた。まったく頓着せずに運転席にこすりつけられるそれが、こじ開けられるようにしてくちを開く。滲み出してきた体液がシートを汚してくちゅくちゅと音を立てるのに、竜崎は細く喉を震わせた。
 右の手が月の動きを止めようと持ち上げられる。月はそれを後ろから舌先で絡め取り、下をこすり上げたりひっかいたりしたまま、唾液を含んだ口腔内に引きずり込んだ。熱くぬめった感触に指先がひくんと揺れる。指と指の間まで丹念に舌を這わせて、細い右手をぐちゃぐちゃに濡らした。
 そうする間にも下からあふれ出してきたものが背もたれに滴る。好き勝手に弄られるのに抵抗することもなくなった竜崎は、額を座席に押し当ててかぶりを振った。汚れた運転席と月との間で、右手を咥えられたまま、耐えられないといった風に腰がよじれる。
 右手が唾液で濡れそぼったのを確認して、すでに落ちかけていた下半身の衣服をさらに下に追いやる。そうやって露出させられた後口を指先でなぞると、淫靡に痙攣するそこが吸い付いてきた。硬く息を詰めて身体をこわばらせるのとは裏腹に、淫らがましく誘い込もうとする。
 月は前を掴んでいた左手を離し、手首に鎖を巻き付けるようにして竜崎の右手を引き寄せた。中途から緩く絡め取られた腕は、力無くたぐり寄せられる。
 そうやって誘導された先を悟って、竜崎は声を引きつらせた。振り返った目元が上気している。
「何、を」
「決まってる」
 にべもなく告げ、人差し指を捕らえる。弱く震えただけのそれを後ろにあてがわせると、屈辱のにじんだ声音がかすかな拒否を示した。
「嫌です」
「今更」
 短く突っぱねる月に、竜崎は下唇をかんだ。だが、それだけ。もしかしたら本当に今更だと思ったのかもしれなかった。
 濡れた竜崎の指先を後口に押し込ませる。ぐちゅ、といやらしい音を立てながらそれは簡単に飲み込まれたが、竜崎が思い切り顔をしかめたのがわかって、月は微苦笑した。鎖で固定された手首を押さえ、躊躇なくゆびを潜り込まさせていく。その性急さと、自分の指が入っていく異物感に、竜崎は苦しそうに眉をひそめた。
「、ッと、ゆっくり、っ」
 裏返った声に満足感を覚えながら、手錠でつながった右手を我が物のように扱う。たまに後退を繰り返して奥までを犯す感覚に、記憶に基づくシンクロを感じた。完璧に知り尽くした内側。
「傷つけるわけない」
「っそういう問題――あ、んぅっ……」
 反論の途中でがくんと腰が落ちる。体重を支えていた膝が砕けて、反射的にこわばった右手がさらに奥深く飲み込まれた。おくを自ら抉ってしまい、快とも不快ともつかない感覚に下肢を震わせる竜崎を、ただ見ていることすらできなくなる。月は右手を押さえつけていた指を離すと、すでに自身の人差し指を奥まで咥え込んでいるそこにつと這わせた。
「待っ」
 引きつった声で制止がかかっても、最後まで聞くこともしない。人差し指だけでもきつく締め付けている場所に、無理矢理中指を割り込ませた。
「ひ、ッ――ぅ……」
 傲慢すぎる動きに自分のゆびだけでも抜こうとあがいても、絡みついた手錠と、内側の中指が邪魔でそれもままならないらしい。下手に動かすのを諦めた指の周りをぐちぐちとかき回しながら、月はそのポイントを探すふりをした。
 わざとらしい仕草に抗議の声すらない。運転席にぺたんと座り込み、ほんの少しだけ腰を浮かせて鼻を鳴らす竜崎の背を見つめ、月は目を細めた。強すぎる幻覚が消えようとしない。
 片翼を見つけたとき、それが足りないことに気づいてしまった。今はただもう、欲しくて。飛びたくて。殺したいとか、そんな問題ではなく、両翼が欲しい。それだけ。
「ぁ、あ、や……っ」
 到達したその位置をこすられて、うわずった声がこぼれ出る。たまらず背もたれにしがみついたのと同時に、竜崎の人差し指を咥えたまま、なかがきゅうっと締まるのを中指で感じた。
「――――っ」
 詰められた息に薄く笑う。
「わかったか?」
「…………」
 自分の人差し指が抜けない竜崎に、今のがわからないはずがない。それでも返事が返ってこないのを見て、月はさらに言い募った。同じ場所を何度も何度も責めながら、
「ここだろ。きゅうッてなる」
「ん、やっ、ぁ、」
 潜めた声で言ってやればさらに締め付けがきつくなる。いい気になって竜崎の人差し指をそこに導こうとした月に、しゃくり上げるような声が上がった。
「ぁ、めて、くださ──」
 そこで初めてまなじりが濡れていることに気づく。もちろんそんなものに感情の介入する余地などかけらもないのだろうが、ひどく追いつめられたそのかおに、えもいわれず腰が疼いた。
 竜崎の指ごと左中指を引きずり出す。直前で故意に奥をこすられて、勃ち上がったものがふるえた。すでに白濁を含んであふれ出した蜜が運転席にしたたり落ちる。数時間前ここに座っていたときには考えもつかなかった淫蕩な光景に、月は片目を歪めた。
 鎖の絡まった腕は放さない。互いに片腕の自由を奪い合ったままで、荒れる呼吸だけを繰り返す。静かに、しかし急激に息苦しい熱が昂まっていく。
 口腔内に溜まった微熱を嚥下して、月は自分の下肢に右手を伸ばした。硬く張りつめたものを取り出すかすかな衣擦れの音でさえ、機内では耳につく。竜崎は聴覚まで犯されたように咽頭を震わせ身をよじった。
 濡れた先端を後口に押し当てる。緊張と予感にそこがひくつき、目尻からは大粒の淫涙がこぼれた。
「っふ──……」
 鼻から抜ける吐息に理性が飛ぶ。瞬間的に、待ちわびるように蠢く後ろを、おそろしく無神経に刺し貫いた。手錠で縛られた右腕ががくがくと揺れる。
「あ、あ、っやが、く……っ」
 目を閉じてなかへ侵入しながら、その声に呼気を震わせる。内道の熱さに眉をひそめて、月は胸中で独りごちた。
 この鎖が外れたらむしろ寂しいかもしれない、などと。そんなのは今更確認するまでもなく、またこれ以上ないほどに当然のことだった。竜崎だってわかっているだろう。
「これ」が完全な状態なのだから。両翼が揃った今の姿が。
 一度完全な姿を知ってしまえば、もはや片翼で充足することなどできはしない。
「竜崎」
 根本まで押し込んで唇を舐める。内部を慣らすように動きを止めて、月は空いた右手で着衣をたくし上げた。先ほどしつこく噛んだ左の背に掌を這わせる。月を咥えたまま、その質量に自身をも勃ち上がらせる竜崎は、何をされているかもわかっていないようだった。
 触れた掌からじんわりと熱が広がっていく。その感覚に忍耐が切れて、どちらからとも知れず動き始める。揺さぶられて断続的に喘ぐ竜崎の首筋に口づけ、月は再び瞑目した。
 あと少し。この翼をもぎ取れば、きっと空を飛べる。
 ずるりと抜き放ってから一気に最奥まで叩きつける。竜崎は引きつった悲鳴を上げ、運転席に片手だけで抱きついた。びくびくと痙攣する中心が白濁した体液をこぼす。それらはすべて背もたれをつたって座席に落ちた。
「ん、ぁッ──」
 小刻みな抽挿を繰り返せば、せっぱ詰まった声が機内の空気を揺らした。何度も脈打つ内側と相まって、目の裏に強い光を感じる。それは窓ガラス越しに見えるネオン群の極彩色だったのかもしれないし、骨張った背筋からはっきりと広がる純白の片翼だったかもしれない。意識が朦朧として判然としなかった。
 強く突き上げて、背に当てた掌に力を込める。指先をぐっと押しつけると、不自由な右手が抵抗するように動いた。鎖が食い込んで鋭い痛みが走る。が、構わず指先を折り曲げ、
「っ、やめろ……!」
 叫びがすべての動作を打ち切った。茫洋としていた視界が鮮明さを取り戻す。あまりにもはっきりしたその言葉に目を見開いて、月は呆然と薄い背中を見つめた。なんだ、今のは。強固すぎる拒否の意志だった。まるでこちらが何をしようとしたか知っているように。
 竜崎はといえば、何もなかったかのように肩で息をしたままだ。
 月は目を細めた。いいだろう。わかっているのなら話は早い。中断された動作を再開して、浮き出た肩胛骨に指先を立てた。さらに激しく下肢を揺さぶる。
 異常な実体感をもって視認できる白い幻覚、羽根の一枚一枚まで見えるそれの根本を掴む。同時に内部に埋め込まれたものをぎりぎりまで引き抜いた。そのままの状態で一呼吸置く。
 静寂は一瞬だけだった。
 一気に奥まで貫いて、幻覚を鷲掴みにする。もぎ取り、引きちぎる感覚と、吐精の瞬間が重なり、恍惚に目がくらんだ。竜崎の喉から引き絞るような慟哭が漏れる。手錠から伝わる激痛が、その鎖の締め付けによるものなのか、伝播する背筋のものなのかはわからなかった。
 内側がかみつくように収縮する。背もたれに吐き出された竜崎の白濁が座席に溜まり、そこについたふたりの膝を浸食した。
 運転席に顔を埋める竜崎から身体を離して、いまだ発熱するそれを抜き出す。
「っぅ……」
 月は座席を濡らす粘液に掌を沈めてから、冷たい窓にゆっくりと手をついた。べっとりと汚れる窓にまっすぐ掌を走らせる。顔を傾け涙目でそれを眺めた竜崎は、不快げに半眼になった。
 左腕に巻き付いていた鎖を手早くほどく。着衣の下には鬱血の痕がついているだろうが、今は痺れているだけだった。
「貸せ」
 竜崎が右腕を緩慢におろそうとするのを掴んで制止し、引き寄せる。バランスを崩して自分の体液の上に座り込むことになった竜崎は口の端を歪めた。月は無視して後ろ手に計器板を探り、目的のものをつまみ上げた。
 小さな鍵。巨大すぎる絶対的なくさび。儀式は終わった。
 躊躇なく鍵穴に鍵を差し込む。まず竜崎のほう、続けて自分のほうに。かちりとひどく軽い音を立てて、それは簡単に開いた。ざらざらと重い音を上げながら手錠は足下に落ちる。
 それを見るともなしに視線で追い、気怠げに運転席にもたれる竜崎に、月は告げた。
「おやすみ、竜崎」
 おそらくは、永遠に。





 その翼をもぎ取れば きっと空を飛べると思ったのに。




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送