Parallel

 ―――がりり。


「キラです」

 がりがり。

『キラじゃない』

 がりがり、がりがり。

「キラなんです」

 がりがり、がりがり、がりがり。

『キラじゃない。こんなこと』

 がりがり、がりがり、がりがりがりがり、がりがりがりがりがり―――

『不毛だよ。竜崎』


 ぶち。


 親指からあふれた真っ赤な血が、ゆっくりと手首を濡らした。口内に残った皮膚を、ぷっ、と吐き捨てる。鉄錆の味がした。

 わかっている。
 不毛だ。こんなことは。





               Parallel





 長い時間が経っていた。
「これ」以前のことが思い出せないほど長く。未来永劫、このときが続くのだと信じられるほど静かに。
 カレンダーを見れば何ヶ月と何日と正確な期間がわかるのだろうが、もはやそんなことには毛ほどの意味もなかった。心は凍てつき体は鈍麻している。肌は痛みを感じることをやめ、心音は時の流れと切り離された。
 摩耗した神経で、受け取れる外的刺激は激減していた。はっきりと知覚できるのは、モニター越しの彼の挙動、スピーカーから流れる彼の声、それだけ。他のことはぼんやりと、遠く霞がかっている。最近では耳元で、大声で叫ばれてもなかなか気づけなくなった。
 最高と呼ばれた頭脳は、腐食して甘い毒液を吐き出している。味覚だけがいやに鮮明だった。
『竜崎』
 薄暗がりをスピーカーからの声が揺らす。そうだ。何とはなしに暗い。であればおそらく、今は深更で、周りは無人だ。彼以外の人間を認知することは、ひどく困難だった。
『正直に言って、失望してる。‘L’がこんな愚かな行為を続けているなんて』
 色を失った低音。心底からの侮蔑。
 今すぐにでも謝罪の言葉を口にしそうになって、喉がかすれた音を出した。
『こうしている間にも、キラは次の策を練っている。もう絶対に捕まらない場所に逃げているかもしれない。完璧な安全を手に入れたら、そのときからきっと裁きは再開されるだろう』
 モニターからでもわかる曇りのない双眼は、義憤に燃え、軽く伏せられていた。こっちを見てほしい、と思う。カメラを見るだけでいい。Lを見ているのだという事実だけでいい。
『おまえはそれでいいのか? つまらないプライドにこだわって、僕を拘束し続けて、いったい何の意味がある』
 プライド―――その単語に、いっそ愛しさすら覚えて、薄く微笑む。自尊心も、倫理も、時間も、すべて捨ててしまった。彼を拘束すると決めたときに、彼以外のすべてを捨てると決めた。意味のあることなど彼のことだけだ。ほかでもない彼自身が、そのことをわかっていない。
 わかってくれるときは来ないのかもしれない。だがそれでも良かった。
 画面に映る彼の顔を、そっと撫でた。
『行為がどれだけ愚かだろうと、おまえはLだ。もう自分でわかってるんだろう? 僕はキラじゃないって。間違うことは愚かじゃない。だけど、間違いを認めないことは愚かだ』
 説得のため、声がわずかに熱を帯びた。同時に必死なような、憐れむような視線がカメラを刺す。
 幸福感と焦燥感に衝き動かされ、しゃがんだ椅子から身を乗り出した。画面に頬を押し当て、目を閉じる。まっすぐな両目が瞼の裏に浮かんだ。
『竜崎。竜崎、聞いてるのか』
 苛立ちが空気の震えとなって肌を打つ。―――詰問、されて、いる。答えなければ。痛みを忘れた皮膚が、内側からざわついた。マイクに手を伸ばし、力の入らない指でスイッチを押す。
「はい、…………」
『……僕の言葉なんて聞く耳持たないってことか?』
 ああ、違う、違うと言いたい。だがその自嘲と皮肉のこもった声に全身が甘く痺れて、身動きが取れない。
『いい加減、僕も限界だ。体力もそうだが、こんなこと我慢ができない。一刻も早く追わなければ真実は遠ざかるばかりだ。こんな手も足も出せない状態で、見過ごしていい状況じゃないんだ』
 徐々に語気が強く、早口にまくし立てられる。それでも自制を忘れず抑えられた語調が、むしろその奥にある激情を想起させた。人形のようにうつくしい彼の、生身の熱。
『なのにおまえは過ちを続けている。おまえの推理は本当に信用していた。だからこそ、この状態からでも説得を続けてきたんだ。すぐにわかってくれると思った。だが―――思い違いだったみたいだな。おまえは真実から目をそらした。勝手な期待だったのかもしれないが、おまえは僕に対する―――いや、世界に、正義に対する、最悪の』
 次にくる言葉に備えて息をのんだ。決定的な一言。彼がはじめて露にする、自分への感情表現。
 唾棄するような音色で、スピーカーが鳴った。
『最悪の裏切り者だ』
 聞いたこともない嫌悪の声だった。
「――――ッ」
 ぞくん、と皮膚がとろける。体中が発火したように熱い。下腹がずきずきと痛み、絶え間なく送り込まれる刺激につま先が反り返った。だらしなく開いた口からは犬のような呼気が漏れ、潤みきった目の縁に感情の伴わない涙があふれる。
 彼がこのあさましい姿を見たら何と言うだろう。軽蔑と嫌悪をはるかに超えて、いったいどんな目で自分を見るのだろう。
―――最低だな
「あ、あっ……ん」
 耐え切れずに、発熱する欲を引きずり出す。すでにびくびくと脈打つそれを数回こすると、堪え性なく涎を垂らし始めた。ぐちゅぐちゅといやらしい音を立てて指先を濡らす。度を越して甘い震えが全身に走り、膝が小刻みにわなないた。
 綺麗な彼と、汚らしい自分。絶対に知られてはいけない。
 けれど、ああもし、
―――おまえがそんなふうに僕を見てたなんてな
「やあっ、あ、ごめんなさ―――」
―――吐き気がする
「ふ、ぁあぁ! やぁ、見ない、で」
 言葉と裏腹に、手の動きは激しくなり、両の膝頭は見せつけるように開いていく。真っ暗な部屋の中で、モニターの明りだけが正面から降り注いでいた。
―――なんだ、これは
 頭蓋骨の中で鳴り響く声に導かれて、先端をぎゅうと握る。ほとんど押し潰すような痛みに震えた。堪えきれず先走りがあふれていく。
―――どうしてこんなことになってるんだよ
 ぬめるそれをつまみあげ、きつく引っ張る。創り込まれた彼の幻影は、酷薄な言葉を吐きながらも触れてくれた。
 自らの縛めから逃れようと腰をゆするたび弱い電流が走り、よけいに熱がこもる。ため息にも似た掠れた高音が漏れた。
―――どうしてかって聞いてるんだ
 瞬間、無慈悲な人差し指が先端の唇を割った。
「っぁあぁあん! いた―――」
―――答えろ
 狭すぎる口にぐいぐいと指先をねじ込まれ、泣き声混じりの吐息がひっきりなしに出る。それでも幻は許してくれそうになかった。自らの尿道を抉りながら悲鳴を上げる。
「ら、月くんを、見てると、ァあ、苦しく……なっ、て、あつ、くて」
―――それだけか?
「んん、いやらしいきもちに、なっちゃうん、です……」
 自分の声だけが鼓膜を叩く。濡れてぐずぐずになった声音は絶対に、この幻だけにしか聞かせない。
 どんなにマイクのスイッチに手が伸びたところで、それを押すことなど論外だ。
 握りしめているものがひどく痙攣した。不随意にびくつく自身が昂りを知らしめ、意識を焼く。臨界点が見えた。もう、
―――やめろ
「え、あ……!」
 妄想の中の叱咤に身が竦んだ。とっさに強く戒めた熱がせき止められ、ずくずくと強烈に脈打つ。抑えきれなかった粘液がわずかに滴り、指の間を濡らした。破裂しそうな快感に声が上擦る。
「はっ、あっ、なんで……」
 茶番じみた自問自答。決まっている。"()"()()()()()()()()()()()()()()()()
 出したい、という本能と、まだ味わっていたいという欲望がごちゃまぜになって、わけがわからなかった。握りしめているだけで精一杯で、彼の幻影すら快感に塗りつぶされる。大きく喘ぐように限界を訴える自身から、すでに白いものが噴き上がるのを、いったいどうしたらいいのだろう。
「んあッ、あ―――」
 進退きわまった泣き声に、空気の振動が重なった。
『……竜崎?』
「――――――!」
 完璧な不意打ちに堪えきれない。一度びゅくんと吐き出されると、握っても先端を押さえても、何度も脈打ちながらずるずると出し切ってしまう。長すぎる射精は、粗相をしているようだった。
 自覚なくぶちまけてしまったショックは大きく、襲ってくる脱力感に肩を上下させながら泣いた。
『……少し感情的になった』
 反省しているというよりは、こちらをなだめるための言葉のようだった。
 幻が再び喋り出す。
―――少しやりすぎたかな
『おまえの用心深さも、わからなくはない。なにせ、相手はキラだからな。譲歩はする』
―――欲しいものは、やるよ
 考えるような間があった。応えなければいけない。呆然としたまま顔をあげると、涙で滲んだ視界にマイクが飛び込んできた。その向こうには、モニター越しの強い視線。力の入らない手をのばして、細いマイクの首をつかむ。
『この状態のままでもかまわない。僕を加えて、捜査を再開するんだ』
―――咥えて
 持ち上げて口元まで運んだマイクの、下についているボックスのスイッチをゆっくりと押し込んだ。その瞬間だけ空間がつながる。
「だめ、です」
『どうして……』
―――どうして? ほら。口開けろ
 ためらうように薄く開いた唇を割って、口内に冷たい塊が侵入してきた。あまりに無機質なそれを、丁寧に舐めしゃぶる。先端のふくらみを喉奥に押し当て、細すぎる柄を舌先で前後に愛撫した。
 金臭いだけの機械は、それでもスイッチひとつで彼とつながっていると思うだけで、簡単に性器へと化けた。唾液で濡れ、体温を奪った生温さが、妄想を助長する。
 オンになるぎりぎりまでスイッチを押す。今音声が入ったらと考えると、体が火照ってきた。余計に音を立てて、じゅぷじゅぷとしゃぶる。ひどく音を立てれば立てるほど、スイッチをきわどいところまで押せば押すほど、熱は昂り、白濁にまみれた自身がゆっくりと頭をもたげ始めた。
『……もう、いい。よくわかった』
 言葉を合図に口内からマイクを引きずり出した。たっぷりと濡れた金属が、モニターの光を映しててらてらと光る。
―――やるよ
 一度先端に口づけてから、椅子にマイクを下ろした。足の間に置いたそれに片手を添える。腰を下ろして蕾をこすりつけると、ぬめりと硬質感が形容しがたい期待をもたらした。
「あ、はや、く、きて―――」
 固定したマイクの先端に後ろを押しつける。指で手伝ってやれば、小さなマイクが飲み込まれるのは簡単だった。
「あっぁ、ん、ふぅ、あ、」
 造作もなく奥まで突っ込んで、ぎゅうと締め付ける。目を閉じればいくらでも生々しい光景が見えたが、それでも物足りなさは如何ともしがたかった。
 長すぎるマイクの柄に、無理やり腰を落としていく。奥の奥まで蹂躙されていく違和感が、全身を総毛立たせた。
「あ、あ、ぁん、深ッ―――そんな、奥まで、むりぃぃいっ……いた、いたい、やあぁ……」
 一度壊れてしまったせいでゆるくなった涙腺が、また潤み始める。ぼろぼろと頬を伝う水滴を見て、妄想の彼は嗤った。
―――じゃあ、やめておこうか。でももうあまり意味はないかもな
「え、あ、なん……ひッ、ぅ」
 恐る恐る視線を下げ、信じられずに息をのむ。あれだけ長かったマイクの柄がほとんど収まっていた。串刺しにされているみたいで、どうにかなりそうで動けない。
―――すごいな
「入って、入ってます、っ……嘘、こんなの」
―――嘘じゃない
「やあぁあぁっ!」
 スイッチのついているボックス部分を一気に引きずり出す。最奥から容赦なく引き抜かれるマイクの頭が中で擦れて、全身が硬直した。
「はッ、は―――」
 息を整えるだけでぢりぢりとした痛みが蘇る。それと同時に、体の中心がひどく空虚に思えた。朦朧とする意識の中、ボックスをつかんでゆっくりと抜き挿しを始める。かき回すように円を描いてみたり、さっきのように奥まで突っ込んでみたり、好きな場所をひっかいてみたり、そのどれもが悦すぎて、ひどく甘い泣き声が漏れた。
「ひっ、あぁぁん……好き、そこ、好きです、だめ、こすったら、っちゃう―――」
―――どうなっちゃうって?
「い、ちゃう、月くんの、中に挿れられて、きもちよくて、も、出る……あぁ!」
 ぎりぎりで踏みとどまって、再度張りつめたものに触れる。マイクは好き勝手動かしたまま、発熱するそれを慰めた。
 どろどろに噴き上がる滴が根元まで伝い、引き出したマイクの柄に絡みつく。ぬめる金属を固く締めつけて、腰を揺すった。
―――今、もしスイッチを入れたら、どんな音がするんだろうな?
―――何の音だと思うんだろうな、"僕"は
「っぁあ、だめ、だめです、やめてくださ、」
―――どうして。もう、いいだろ。「僕」のことはこんなにしておいて
「やあ―――ごめ、なさいぃぃっ……ふあ、ァ、好き、月く、好き」
 べたべたになった手をモニターへ掲げる。伏せられた瞳はやっぱりきれいな、透明度の高い琥珀色だった。少しかなしくなるが、すぐに狂濤へと飲み込まれていく。
「ん、ん、好き、ん、あ―――!」
 目を瞑って膝頭に額を押しつける。その瞬間は何も見たくなかった。背筋を震わせて声を殺し、ただ耐える。控え目に手を濡らした生温かさは生身の人間を感じさせて、とてつもなく気持ちが悪かった。
 うっすらと目を開けて、光る画面を見つめる。彼が呟いたのは、奇しくもそのときだった。否、それも妄想だったかもしれない。幻影が囁きかけたのか、現実の彼が吐き捨てたのか、判然としなかった。
『おまえは狂ってる。僕がキラだという妄想にとり憑かれて』
 諦めの入り混じる声音だった。糾弾するでもなく、嘆くでもなく、ただ認めたくなかった事実を受け入れる、そのための言葉。
 長く長く息を吐いた。知っている。こんなになってしまったのはいつからだったのか。
 ……わかっている。センター試験の会場で、彼を初めて見たとき。いやそれ以前にもカメラ越しに見たことはあったのだが、実際間近で目にした彼は、有り体に言ってしまえば、おそろしく美しかったのだった。
 そのとき思ってしまった。この男がキラであったら。こんなにも遙か遠く、手の届かない存在が、キラであってくれたなら。
 それは願望だった。夜毎思考回路を蝕み理性を狂わせていく、抑えようのない欲求だった。
 だから、―――が―――でないことなど、とっくに知っていた。
 捕えて閉じ込めて、引き摺り下ろして貶めてしまおう。そういう物語があったって、良いではないか。どうせ誰にも真実なんてわからない。
 だったら永遠に、夜神月はキラだ。
 四角い発光体の中に映る彼を手の甲でそっと撫でる。充足感と幸福感に満たされているというのに、熱い滴に滲んで、彼の顔はよく見えなかった。






竜崎が可哀想になるためにはどうしたらいいのか、を考え続けた結果、
夜神さんが完全に白月になればいいんだ、という地平に至りました。
ヤンデレになりました。不思議です。






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