ノイジィ・トライアングル
 どすんばたん。
 騒音に続いてけたたましい悲鳴までが部屋中に響き渡り、月のささやかな安眠の時は無情にも幕を閉じた。朦朧とする意識の中で枕元の腕時計を掴み、半眼で文字盤を確認する。そろそろ起きなければならない時間ではあった。ただ、無理矢理に覚醒させられたせいでおそろしく気分が悪い。文句の一つでも言ってやろうと体を起こし、月は隣のベッドに顔を向けた。
「おい、何して――」
 る、と言いかけた形のまま、顔面が硬直する。悲鳴が女声だったので、そこに二人いることは予想していたのだが。
 竜崎にのしかかったミサと、ミサに押し倒されて仰向けに転がる竜崎が、こちらの気配に気づいて振り返るのはまったくの同時だった。
「…………」
 二対の目と見つめ合ってから、無言で目をそらして再びベッドに潜り込む。シーツを頭からかぶって隣のベッドに背を向けようとした月に、凄まじい悲鳴が飛んだ。
「あー、何それライト! 違うの! ごかーい!!」
 叫びながら今度は月のベッドに飛び乗ってくる。引き剥がされそうになるシーツを内側から押さえながら、月は可能な限りの早口でまくし立てた。
「誤解も何もないだろ朝から面倒くさそうだから関わりたくないんだ」
「彼女のこと面倒くさそうって何?! ひっどーい!」
 続けてわめこうしたらしく、ミサが息継ぎをする。その間隙を縫って、竜崎のぼそぼそと潜めた声が聞こえてきた。こちらも相当の早口だ。
「では横浜でお願いします切りますよ」
 誰と話してるんだ。怪訝に思って頭だけで隣のベッドを見やると、月の視線よりも早くミサが再度隣へ飛び移った。ぼすんと大きくスプリングをたわませて竜崎に体当たりしている。見た目だけならじゃれかかる小動物だったが、その剣幕は猛獣を思わせた。
「だめ、マッツーだめ! 汐留、絶対汐留!!」
 どこに松田さんがと視線を巡らすと、ミサは竜崎の耳元に向かって怒鳴っている。正確には竜崎の耳元にある携帯に向かってだった。なんとかして携帯を奪おうとするのを、華麗な足捌きでかわされている。電話口にいるのがおそらく松田であろうことだけは理解して、しかしその他の状況がいっさい把握できず、月は額を押さえた。無関係を貫こうとしても、それはこの手錠がある限り不可能な話だ。ならばこの騒音をどうにかするためには、自分で解決するしかないのだろう。
 マッツーはミサのマネージャーでしょどうしてお願い聞いてくれないのよ松田さんは私の捜査員ですよねどうして言うことが聞けませんかと無茶なことを言いながらベッドの上を転がるふたりに向けて、月は覚悟を決めて、それでも嘆息混じりに訊ねた。
「……で、どういう状態なんだ? これは」
 瞬間、ぴたりと動きが止まる。訊かれるの待ってたのか、と胸中で失策を悟って呻くが、後の祭りだった。計ったようなタイミングで二人同時に口を開いてくる。
「竜崎さんが酷いんだけど!」
「ミサさんが邪魔です」
 相手を指さして罵ってから、互いの言葉に沈黙しあう。月は憮然として左手首をさすった。さっきからふたりが暴れるたびに手錠が引かれるので、痛んで仕方がない。
「順を追って説明してくれ」
「松田さんに買い出しを頼んだんですよ」
 先に弁解を始めたほうが有利だとでも思いこんでいる学生のように、竜崎が携帯を軽く振りながら説明を始める。あっおはよう月くんなどと気楽な声が聞こえてくるところを見ると、この喧噪はすべて筒抜けだったらしい。聞こえてたんならなんとかしてくれよと心中毒づいて、月は携帯を睨んだ。
「ここも日常品は必要ですから。で、ついでに何か甘い物を買ってきてもらおうと思ったんです」
「でも今日はミサの、3ヶ月に1回の甘い物解禁日なの! この日だけは甘い物食べてもいいって決めてるわけ!」
 黙っていることに耐えかねたらしいミサが腕を上下させながら声高に主張する。こめかみがひくつくのをどうしようもなく自覚して、月は声音だけはなんとか抑制することに成功した。
「接続詞がおかしいぞミサ。食べる分だけ松田さんに買ってきてもらえばいいじゃないか」
「違うの」
 大きくかぶりを振ったミサが、眉をひそめてなにやら真剣な面もちになる。その話題に似合わず切迫した表情に圧され、月は思わず小さくのけぞった。
 下唇をかんで苦悩の色を浮かばせるミサは、唐突に涙声になった。
「ミサはね」
 溜めが長すぎたらしい。隙あらばといった風情で携帯に「横浜」と告げようとする竜崎に襲いかかって牽制してから、ミサはそれでも声だけはしおらしく続けた。
「すっごくお気に入りの抹茶屋さんがあって、3ヶ月に1回はそこのパフェを食べることにしてるのね。っていうか、そこのパフェ食べないと禁断症状が出るんだよ」
「……なんだよ禁断症状って」
「身体めちゃめちゃひねったりとか逆立ちしたりとか」
 なんだそれは。あきれのあまり端正な顔を崩して月は呻いた。
「じゃあそれを買ってきてもらえばいいんじゃないか?」
「そうよね! ライトもそう思うよね!」
 我が意を得たりといった勢いで突如食らいついてくるミサに驚いて瞬く。適当な同意を返す暇すらなく、竜崎が携帯を確保したまま割り込んできた。
「だめです今日は中華饅の気分です」
「――って! 竜崎さんが譲らないの超酷い!」
 だいたいのところ把握できた。つまりは朝から甘味のことで大騒ぎしていたわけだ。どうでも良さがきわまって天井を仰ぐ。
「両方買ってきてもらうんじゃだめなのか?」
 確かに大変そうだが実際歩かされるのは松田だ。薄情に彼を切り捨てて、月は肩をすくめた。が、
「できないんです」
「どうして」
「食べたいのは横浜にしかないお店の中華饅ですから。ミサさんの言う抹茶屋は――」
「パフェがあるのは汐留だけなの!」
「ついでに今日は北村次長からの呼び出しがあって、夜神さんには松田さんがついていくことになってます。9時には。模木さんと相沢さんの手が空いていないので」
 タイムスケジュール的に不可能なわけだ。重い重いため息をついて、月は一瞬だけ黙考した。
 1、ミサに味方する。3ヶ月に1回って言ってるのに可哀想だ。そんなことをしたらどうなるか、結果は火を見るより明らかだった。罵倒され蹴り倒されてこの先数ヶ月は根に持たれること疑いない。
 2、竜崎に味方する。3ヶ月に1回って言っても日にちをずらせばいいだろ。こちらはもっとわかりやすい展開になる予感がした。ライト酷いそんなのないよミサずっとこの日を楽しみにしてきたのにどうして竜崎さんの味方するの。そしてミサも怖いが、この場合竜崎がつけあがりそうなのがさらに腹立たしい。
 3、どうだっていいだろそんなこと。最悪だ。こいつらふたり同時に敵に回すなど論外だった。
 結局ばかばかしすぎる事態に有効な手段が見つけられず、その隙に再び言い合いが始まった。
「竜崎さんはいつだって中華饅食べられるじゃない! ミサは3ヶ月に1回なの。今日を逃したら半年は甘い物食べられないんだよ!」
「じゃあミサさんも中華饅を食べればいいんだと思います」
「何言ってんのーっ?! ミサ京都にいたときからずっとあそこの抹茶パフェ食べて生きてきたんだから! ミサの半分は抹茶パフェでできてるんです!」
「私の半分はその日そのとき食べたいものでできてますが」
「単なるわがままじゃない!」
「ミサさんが言えることではないと思います」
 永遠に続く平行線が視認できた気がして、月は軽いめまいを覚えた。思考が口をついて出る。
「……日にちずらすんじゃだめなのか? ミサ」
「ライト酷いそんなのないよミサずっとこの日を楽しみにしてきたのにどうして竜崎さんの味方するの?!」
 一字一句予想と違わない台詞に、はは、と苦笑が漏れる。引きつった口の端を隠す気力もなかった。竜崎がにやりとしたのも気にくわない。
「譲ってやれよ、松田さん帰ってこられなくなるぞ」
「任務遂行できるまでは帰ってこなくていいです。そんな使えない人間はいりません」
 元々が松田さんの時間制限のせいで一カ所しか行けないんだろ? あちこちが破綻した言葉に、携帯から悲鳴が漏れる。
『ええっ使えなくないですよ! 僕だってやればできます!』
「マッツー乗せられてる! 絶対絶対パフェ買ってきて!」
 あっさりと引っかかりそうになった松田を引き戻して、ミサが叫ぶ。だいたい松田さんも松田さんなんだよな、と月は顔をしかめた。買い出しなんか近所で済ませればいいのに、甘やかすからこのふたりがつけあがるんだ。無自覚な自分のことは棚に上げておく。
「ほんと、前から言おうと思ってたのよね。ミサあなたに監視されてるせいでほとんどどこにも行けないんだから。食べたいものくらい食べたいときに食べさせてよ!」
「これでも柔軟な対応をしているつもりです。今は甘味について対等に争ってるんですから、ほかのことを持ち出してくるのは卑怯じゃないですか?」
「ミサとあなたって元々が不公平だからちょっとくらいミサに譲ってくれてもいいって言ってるだけなのに、それをすり替えてほかのこととは関係ないって言うあなたのほうが卑怯じゃない?」
 話題が日常の不満にまで発展してきたことに危機感を覚える。しかも妙に論理的だ。軟禁生活によく耐えていると言えるミサが、こんなつまらないことで暴発するのは避けたかった。仕方ない。
「じゃんけん」
「……はい?」
「え?」
 似合わない単語なのはわかってるから追求しないでくれ。片手で側頭部を押さえながら、月は唸った。
「じゃんけんで決めればいいんじゃないか。大昔から迅速で効果的かつ後腐れのない方法なんだ」
 どんな言葉で形容したってじゃんけんはじゃんけんなんだけど。胸中でもうひとりの自分に突っ込まれるのを受け流して、月はふたりの様子を伺った。
 竜崎は視線を上向けて、ミサは反対にシーツを見つめて、しばし沈黙している。携帯から、もしもーし、と呼びかけられるほどの時間そのままでいてから、彼らは目を合わせた。
「……そういう方法もありますね」
「……じゃんけんでいっか」
 今まで気づかなかったのか。ベッドに倒れ伏したい衝動を必死に抑え、月は声を絞り出した。
「じゃいくぞ」
 合わせた目を一度もそらさず睨みあって、ミサが腰溜めに、竜崎が顔の前にそれぞれ手を構える。彼らの闘志と反比例して気力が失われるのを自覚しつつ、月はおざなりにかけ声をかけた。
「最初はグー」
 応じて手が出される。が。
「ああーっ何それ卑怯よ!」
「ミサさんこそ卑怯です」
「…………」
 ミサがパー、竜崎がチョキを出したのを確認してげっそりと半眼になる月を捨て置き、罵声は続く。彼らはじりじりと顔を近づけてメンチを切りあっていた。
「っていうかありえなくない? なんでそこでチョキ出すのよ」
「行動パターンバレバレなんですミサさん。何はともあれ私の勝ちですね」
「はあ?! 今のはルール違反なんだから無効でしょ!」
「先にルールを破ったのはそっちです」
「先も後もないじゃない同時に出したんだから」
「じゃんけん以上のさぐり合いに負けたんだとは思いませんか」
「じゃんけんで勝負つけるって話だったじゃん」
「これ以上やっても無駄だと思いますが」
 延々と続く口論に。
 使い果たされた気力がついにマイナスゲージに突入したことに、月は気づいてしまった。そしてその途端に笑いがこみ上げてくる。何やってるんだ僕は。こんな回りくどい方法することなかったんじゃないか。やるべきことはいつだって決まってる。それを押しとどめていたのは、ただ一重に波風を立てたくないというズレた思いからだった。波風なんか立ってないときがないんだよ馬鹿。
 つまるところ端的に言えば、キレたのだった。
 ゆらりとベッドから立ち上がる。怪訝そうに見上げてくる竜崎とミサは無視して、その手から携帯をひったくった。一瞬の出来事にさすがに反応しきれなかった彼らに背を向け、電話口に耳を押しつける。
「松田さん今どこですか」
『え? まだビルの近くから動いてないけど』
「じゃあその辺のコンビニで、中華饅と抹茶パフェとポテトチップのコンソメ味買って帰ってきてください。お願いします」
 一方的に告げて通話を切る。ディスプレイを確認すると27分という信じがたい数字が映し出されていた。これだけの時間このやりとりを続けていたのか。携帯を放り出してふたりの脇に倒れ込む月に、我に返ったミサの悲鳴が上がった。
「っええ、ちょっと……何これ?! ライトどーいうこと?!」
「なんてことしてくれるんですか月くん」
 次々に頭上に降りかかってくる苦情から完全に意識を切り離す。当初の予定通りシーツを引っ張って潜り込んだ矢先、がすんと鈍い衝撃が後頭部を襲った。
「最低です鬼です悪魔です。心臓麻痺で死んでください」
「酷いライト酷い! なんでこういうことするわけ?! 信じらんない!」
 深々とベッドに顔面を押しつけられたまま、月は呻いた。背中を激しく叩かれているのもあわせると、どうやらふたりそろって攻撃を加えてきているらしい。
「喧嘩両成敗って言うだろ」
「違います今のは漁夫の利って言うんです」
 どこがだよ。言い返そうとするが、ミサがそうよそうよと同意するのが聞こえてきて月は憮然と押し黙った。
 結果的に最悪の選択肢を選んでしまったように見えても、妙にすっきりした気分になる。そう感じている時点で彼らとそうレベルが変わらないことは黙殺して。
 月はとりあえず、今は寝直すことにした。



さすがにアタマ悪すぎですか。でもほら、3人とも賢いことばかりしてると疲れるから!(言い訳)



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