猛毒トライアングル











!WARNING!


ミサがごっそり出ている上、かなりふたりと絡んでおります。
月←Lではございますが、そのことをご理解いただいた上でご一読いただければ幸いです。












 2本の触角が絶えず揺れ動いているのを見るともなしに眺めていると、簡単に時間が過ぎる。触角などと言ったら、その持ち主は怒るだろうか。金の髪を左右で小さく結わえた彼女を視界に収めながら、Lは簡単に結論を下した。怒り狂うに違いない。
 手錠の鎖をいっさい気にせず夜神月の左腕をホールドしていた弥から、腕を引っこ抜くようにして彼が立ち上がる。それでいて振り払うでもなく、まとわりつく彼女をやんわりと押し返すような仕草だった。
 少しだけ弥と距離を取ったところで、ガラスのテーブルに置いた走り書きを指先で叩く。
「これで一応、大雑把な面接の流れはできた。あとはふたりで調整してくれないか。少し休みたい」
「えー!」
 不平の声は間髪なく上がった。否も応も、差し挟む隙がない。弥はいっそう激しく触角を震わせた。
「なんで! 寝ちゃうのライト?」
「あ、ああ。少し疲れた」
「なんで」を、制止ではなく、文字通り質問と受け取ってしまうあたりが彼のだめなところだと思う。それともこれは確信犯か。休みたいものは休みたい、という意志の表れ。
 益体もないことを考えているうちに、弥はしかし、不満そうだった顔をぱっと輝かせた。
「じゃあミサも一緒に寝る」
「何言っ」
「だめです」
 こちらから反応があるとは思っていなかったのだろう。弥は握り拳をふたつ胸元で作ったままの姿勢で、大きく瞬いた。
「どうしてー?」
「朝一でアイバーを呼んでありますから、ミサさんが流れを把握していないと進行に支障が出ます」
 唇を突き出しての抗議に、顔も合わせないまま応じる。手にした書類はヨツバに殺害されたと思われる人間のリストだったが、特に意味のあるものではなかった。紙面に落とした視線は思考と無関係の字面を上滑りする。
「っケチ」
「なんでもいいです」
 持っていた書類はテーブルに放り投げて、夜神月の書いた「大雑把な流れ」をつまみ上げる。アイバーが訊ねなければならないこと、弥が答えるべきこと、ポイントは何か、何に触れてはいけないか、が順を追って箇条書きされているそれは、文句のつけようがない出来だった。過不足なく、簡潔で、わかりやすい。
 弥がこちらを睨んでいるうちに、と思ったのか、そうでないのかは定かではないが、夜神月は隣室へ通じるドアを開けた。ドアの内側にはカーテンが掛かっている。鎖のせいでドアが完全には閉められないので、布でそれを補おうという仕様だ。遮光の役目も果たすため、一見暗幕のようにも見える。
 その布に手をかけたところで、再び弥が彼の腕にかじりついた。
「じゃあおやすみのキス!」
「…………」
 数秒の沈黙。一度弥を見つめて、視線をさまよわせ、もう一度弥を見返した夜神月は、変わらず真剣な顔つきで彼の袖を掴む彼女を見て、観念したらしい。困ったようにこめかみに人差し指を当ててから、ふわりと優雅な動作で身をかがめる。
 その先は持ち上げた書類に隠れて見えなくなった。ややあって紙片の影から出てきた夜神月は、何事もなかったかのように告げてくる。
「じゃあ後は任せた。7時には起きるようにするよ」
「はい。おやすみなさい」
 片手間に返す。どうせ彼もろくに聞いてはいなかった。両耳に耳栓を突っ込んでいる最中である。ドア代わりとはいえ所詮カーテンだから、音を遮断するにはそういうものに頼るしかない。
 おやすみと社交辞令を告げ暗幕の波に消えていく彼を見送って、Lは紙片を弾いた。
「ではミサさん、今から細かい指定を入れていきます。私がアイバーの部分を読み上げますから、確認もかねて返事をしてください。棒読みで構いません」
 弥はLのしゃがんだソファの横に立って、ぴんと張った鎖の先を長々と見つめている。聞いているのかいないのか、首肯すらありはしなかった。
 親指の爪を噛む。
「ミサさん聞いてますか」
「――――しい?」
 独り言のような呟きが聞き取れず顔を上げる。直後、Lはわずかに目を見開いた。
 弥の、常はきらきらとした、騒々しいほどの生気を放つ双眸が凍っている。痛いほどの静謐を孕んだその色に、底の知れない淵を覗き込む寒気を感じた。別人だった。少なくとも、Lは彼女を知らない。こんな透明な眼差しを持つ女は、今の今までここにはいなかった。
 零下の吐息をこぼすかと思われた唇からは、存外に平素の声が発された。
「羨ましい?」
 その台詞で我に返る。半眼で一瞥を加えた彼女も、別人ではなくなっていた。ただ残った空気がひどく鋭い。
 Lは平静を装って口を開いた。
「いいえ。――座ってください」
 下手に触れれば骨まで断ち切られる。そういった種類の残滓だった。動かない弥にもう一度告げるべきか否か躊躇する。が、Lが渇いた舌を口腔から引き剥がす前に、弥は身を翻した。そのあまりに無造作な動きを無言で見つめる。
 弥は軽そうな肢体を向かいのソファに放り出すと、首を傾げてみせた。金髪が剥き出しの肩を滑り落ちる。足を組むその姿は、おそらく妖艶と称して何ら差し障りないのだろう。いつもならば、ただがさつとしか映らないその姿。
「ミサはね、たまに、ミサがあなただったら良かったのにと思うことがあるの」
「……始めます」
 一方的に宣言して、続ける。
「単刀直入にお聞きします。あなたのご両親は強盗に殺され、その強盗を殺したキラをあなたは尊敬している、という話がありますが?」
 無視されるかと思ったが、弥の返答はよどみなかった。決められた内容をすらすらと口に乗せる。
「いいえ、そんなことはありません。キラは犯罪者ですから。――手錠だってずるいとは思うけど、ほかのことのほうが大事。ミサは今ライトの‘特別’を目指してがんばってるでしょ? でも竜崎さんは最初から特別扱いだもんね」
 弥の声は不自然なくらい平坦だった。台本通りの台詞も、唐突な言いがかりも、区切りすらなく一繋がりで流れ出る。
 Lは軽く目を伏せた。
「そんなことはありません。気のせいです。――あなたは、キラに会いに行く、と言って東京へ出てきた」
「そんなこと、誰に。――でも、ミサにはわかるから。特別だよ。ライトが対等に話せる相手なんて今までいなかったのよきっと。だから特別扱い。超・頭良い、って、それだけで。――なのにあなたは、それじゃ足りないんだよね」
 意識して息を吸い込まざるをえなかった。この娘が愚かだとは思わない。むしろ聡いと言ってもいい。だとしても。
 眼前の、射抜くでもなく、あざけるでもない双眼に、怯む理由などどこにもありはしないのに。
「何、言ってるんですか?――ミサさん京都にお姉さんがいますね。彼女に、誰にも言うなと言いながら話した」
 茶番じみている。Lは爪をかじった。
「……姉がそんなことを?──竜崎さんが自分でわかってないはずないよね。ライトがキラだって言い続けて、鎖で縛って、どこまでも入り込もうとしてる。ぜんぶぜんぶ事件の捜査と結びつけて。ライトがそこからだけは逃れられないこと知ってて」
「まだあります。『弥海砂はLに拘束された』一時期ネットなどで噂になったことです。これについて、真相を話してください。……ミサさん」
 Lはつと正面を見据えた。静かだ、と思う。互いに眠るような呼吸で向き合っている。内面など計り知れなくとも、表層だけは湖面のように静まり返っていた。
「私は卑怯ですか」
 呟きは水面に落ち、波紋を描くことなく沈んだ。
 弥はゆっくりと唇を動かす。動いたのがわからないくらい、それは緩やかな変化だった。
「酷いと思うよ。でも、卑怯じゃない。それしかないんだから。──けど、特別でもない、そんな手段も持ってないミサは、あなたのことすっごく羨ましい。あなただったら、」
「私もたまに考えます。私がミサさんだったら」
 遮られたことに驚いたのか、弥は虚をつかれた風だった。目をそらす。
「私がミサさんだったら、こんなくだらない方法を採らなくてもいい。あなたが口にする言葉が、あなたが取る行動が、私には手の届かないものばかりです。彼を疑う者であり、対等な者であり、同性である私には、あなたが呼吸よりもたやすくこなしてしまうことのすべてが遠い」
 Lは大きく、大きく息をついた。それでもそのことを相手に悟らせないくらいの小手先の技は身につけていた。弥は気づかないだろう。しかし彼女もまた、こちらの裡を見透かすくらいの芸当は持っているのだ。
 弥は数分前、別人のような顔で口に乗せた台詞を、柔らかな声音で繰り返した。
「羨ましい?」
 瞑目する。右手首が熱かった。その熱に浮かされるようにして、詰めた声を吐き出す。
「はい」
 うん、と呟く弥の声。
「ミサも」
 はい、とLは応えた。
 前触れなく、弥が立ち上がる。こちらに近づいてくるその意図がわからずに彼女を見上げていると、弥はソファの傍らに立った。
「分けてあげよっか?」
 何を、などと訊くのは愚問だろう。
「……いいんですか?」
「うん。ちょっとでも優越感が欲しいの」
 真顔で放たれるあけすけな物言いに、苦笑する余裕はなかった。
 お願いしますと上向けた頬を、弥の細く冷たい指が辿る。Lの額にかかった髪を掻き上げて、弥はそっと唇を落とした。
 目を閉じる。触れた柔らかさよりもかすかに濡れた跡に、脳幹が揺さぶられるような渇きを覚えた。ほとんど反射的に舌を伸ばす。
「──……ッ」
 切羽詰まったように胸郭を震わせたのはLのほうだった。弥は口を閉じたまま微動だにせず、息づかいすら感じさせない。その空気のような所作に現実感が消える。
 何度も何度も角度を変えて貪って、自分自身が追いつめられていく。思わず手を伸ばしてすがりつきそうになったところで、Lは薄目をあけ身体を離した。手を伸ばしても、そこにいるのは弥海砂だ。
 平然とその場を離れる弥に言ってやる。
「夜神くんの味がしました」
「もちろん」
 短い返事とともにくるりと小さな背を見せて、弥は歩み去ってしまった。金の触角が揺れている。
 閉じたドアをしばし眺めやってから、Lは手首から伸びる鎖を軽く引いた。
「夜神くん」
 当然のごとく返事はない。暗幕の向こう、耳栓をして眠っているはずの彼は、しかし寝息すらこちらへ届けてはくれなかった。
 手を上げ、逡巡したあげく唇ではなく目頭を押さえる。
 つながれた鎖の分だけ、夜は長い。





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