幕間狂言
  「罪を認めろ、故郷くにのおっかさんが泣いてるぞ」
 何の脈絡もなく棒読みされて、何事かと月は振り返った。
 手錠の先、パソコンに向かう月のすぐ後ろでは、相変わらずやる気なさげな竜崎が、大量の果物をつついている。横には溶けたチョコレートの入った器があった。どうやら本日のおやつはチョコレートフォンデュらしい。ひどく季節はずれだ。
 それきり何も言わなくなってしまった竜崎に聞き返す。
「何だ、いきなり」
「夜神くんが聞いたんですよ、キラを捕まえたらどうするのか。と」
 確かにそういう話をしていた。だが、今のがさも自然な回答であるかのように応じられても困る。
 竜崎はおもむろに鉄串を取り上げ、皮のむかれたオレンジに突き刺した。
「日本では取り調べのとき、そう言うんですよね? 松田さんに聞きました」
「松田さん……現役の刑事だよな?」
 就職先第一希望の、隠された真実をかいま見た気がする。
 ちょっとばかり真剣に悩んだ月の目の前で、オレンジがチョコレートの中に無造作に放り込まれた。串刺しのまま、乱暴にかき混ぜられている。
「日本のお母さんは偉大ですね。手を離したほうが本当の母親なんでしたか」
「色々混ざってるぞ竜崎」
「伝統的な作法は侮れません。有効だからこそ伝統になるんです」
 もっともらしいことをのたまう竜崎は、しかし半眼でチョコまみれのオレンジを見つめている。余分なチョコが器に戻るのを待とうとしたらしいが、途中で面倒くさくなったように舌を伸ばした。
 ばかばかしくなって、月はディスプレイに向き直った。覚えるほど読んだキラ事件関連の報道記事が映し出されている。
「で、何だ、その古典的な文句を言うのか?」
「それでキラの自供が取れるなら万々歳です。世界中の犯罪者が日本人だったらいいと思います」
 投げやりな言葉に、不覚にもこめかみが疼いた。
 ばちん、とエンターキーを弾く。
「竜崎の考えるキラは、親でも殺すんだろう。その決まり文句は無意味だ」
「まあ、そうですね。食べますか?」
 こちらの不穏を感じ取ったのか、竜崎はおもねるように鉄串を差し出してきた。先端には葡萄が一粒、チョコレート色に染まって刺さっている。そのあんまりな組み合わせに辟易して、月は嘆息した。
「いらない」
「そうですか。……勘違いされてるかもしれませんが、キラが親でも殺すのは、愛情が希薄だからではないですよ」
 言い訳をする竜崎は珍しい。積極的に捜査ができない今が、よっぽど退屈なのだろう。ならばやる気を出せと一喝したいところだが、どうせ無意味だとか一蹴されるだけだ。
「キラの目的はおそろしく明確です。犯罪のない世界を作ること。そのためにはどうしても自己保身が必要になる。障害となるものは、何者であれ取り除かなければならない。私情が介入すれば正義はなされない。親殺しはキラにとって苦渋の決断であり、『機構』としての自身を守るため、『個人』としての自身を殺す、ヒロイックな悲劇です」
 見てきたかのように言う。葡萄の種を吐き出しながらという投げやりな説ではあったが、おそらくそう的はずれでもないのだろうと月も思った。キラが個人で、親がいればの話ではあるが。
 しかし、
「なんで僕に言い訳するんだ。気の遣い方が間違ってる」
「いえ別に他意はありません。捜査にはやる気が失せましたが、何もしてなくても考えるのはキラのことばかりなので。色々蓄積してるんです。別に話す相手は夜神くんでなくても良かったんですが、誤解を招いたのなら失礼しました」
 つぷり、と、音を立てたのは、鉄串に断ち切られた桃の繊維だけではないような気がした。
 チョコと果汁が、鉄串を伝って指先まで落ちていく。そこから目が離せないまま、月は口を開いた。
「だが、それならやっぱり僕はキラじゃない。僕に家族は殺せない」
 桃をくわえた竜崎は、眼球だけ動かしてこちらを見た。嫌な間の取り方をする、と心中で呻く。思索の絡んだ黒すぎる眼は、桃をかじると同時にあっさりと逸らされた。
「そうですね」
 まるで相手にされない。深く考えるのはやめて――こういうとき考えなしになるのは、たぶん月の悪癖だった――苛立ちに言葉を任せる。
「家族だけじゃない。捜査本部の人たちだって同じだ。むしろ身を挺しても守りたいと思ってる。身内を殺すなんて、そんな恐ろしいことができるのは、やっぱり愛情が希薄だからだろう」
 言葉尻を捕らえられて、竜崎が何とも言えない顔になる。もしくは似つかわしくない台詞だとでも思われたか。
 チョコと果汁まみれの鉄串は、輪切りにされたパイナップルの穴に突っ込まれた。皿の上で、串を支点にしてぐるぐると回転させられる。弾かれた葡萄が転がって落ちていった。
 葡萄が全部皿から弾き出されると、竜崎はようやっと顔を上げた。
「では夜神くんは、もし自分がキラだったと仮定して」
 むっとして椅子ごと振り返る。
「そんな仮定」
「反実仮想です。もし、自分がキラで、今はすべてを忘れていて、後に記憶を取り戻したとしたら」
 反実仮想など、絶対にそんなことかけらも信じていないくせに、きっぱりと言う。しかしその有無を言わさない語調に、月は文句を飲み込んだ。
 ひゅ、と眼前を風が切る。眉間に突きつけられた鉄串の先端は、鈍く光っていた。
 その鈍い光越しに、竜崎の昏い双眸がある。
「夜神くんは、私を殺さないですか?」
「―――……」
 互いに黙すことわずか。
 串から垂れ落ちそうになった甘露を人差し指でぬぐい、月はそれを舐めた。
「殺さない」
 竜崎は憮然とした面もちで、あっさりと鉄串を跳ね上げた。
「そう答えるでしょうね」
 とって返した鉄串でトーストのかけらをつつき始める。何度も執拗に突き刺されるトーストが原型を失っていき、月は口内の甘味の中、じわりと苦みが広がるのを感じた。けれど反論はしない。伝えたのは真実なのだから、むきになって何度も繰り返す必要はない。
 一つ目のトーストを完全に破壊すると、竜崎は二つ目のかけらを突き刺し、チョコレートに浸した。
「Lというのは世襲制なんです」
 出し抜けに言われて、月は面食らった。
「何だって?」
「Lシステム。悪を抑制する、世界の仕組み。そういうものを研究する施設があるんです。絶対正義(LAW)システムは、ひとりの『L』を立て、その跡継ぎとして優秀な子どもたちを集め、教育する。血は繋がっていませんが、いわばLの子どもたちです」
 トーストについたチョコレートを綺麗に舐めて、二度漬けする竜崎を見ていると、ああこれは聞き流すべき話なのだなとわかる。どうしてこの男は平然と大法螺を吹くのだろう。相沢のように腹を立てたりはしないが、理解に苦しむ。
「子どもたちの誰かがLを継ぐのは、Lが死亡または失踪したとき。つまり、何者かによって殺害されたか、拉致されたか、または自害・逃走した場合」
 そこまで言うと、竜崎はかじっていたトーストを飲み込んだ。
 くわえた鉄の串に、ぎりり、と歯を立てる。
 一瞬、本当に一瞬だけ、怖気がした。
「その中には、後継者候補に殺害される、という可能性もあります」
 静かに言い放った竜崎は、かいま見せた鬼気が嘘のように、気軽に鉄串を振った。
「いわば親殺しです。これが意外と多い。なにせ身内ですから、外敵よりもチャンスがあります。『Lを継ぐ』ことを最優先目標として育てられた子どもは、時としてLへの最短の道を選ぶことを躊躇しません」
 指揮棒のように動く串を胡乱げに眺める。心持ち椅子に深く沈み込みながら、月は促した。
「それで、何だ」
「夜神くんは私と同じ(・・・・)側の人間だと思いました」
 黒々とした双眼は感情をうかがわせない。いっそ怒りも呆れも湧いてこなかった。真実など微塵も含まれていないというのに、月も、そしておそらくは竜崎も、親殺しなどしていないというのに。両者へと、致命的な斬り込みを入れたように聞こえるのは何故だろう。
 良い芝居には真情が在る。装わず、造らず、欺かず、実感を持てる者のことを、役者と言う。
 瞼をおろし、一通り余韻を噛みしめると、月は静かに溜息をついた。
「正義の執行者が、明らかに義のない理由で人を殺すのか?」
 言ってやると、竜崎は視線を泳がせた。悪びれない調子で、
「それもそうですね。失敗しました」
「何なんだ……」
 竜崎はさして口惜しくもなさそうに、バナナを丸ごと器へ放り込んでいる。ぶち壊された緊張感を振り払うように頭を振って、月は困惑とともに吐き出した。
「作り話まで持ち出して、いったい何が言いたいんだ竜崎。正直言って、楽しい話じゃない」
 チョコが滴るバナナに口をつけた竜崎は、不満そうに眉根を寄せた。
「わかりませんか?」
「…………」
 無言は肯定ではない。それでも何も言えない月に、竜崎は噛んで含めるように繰り返した。
「夜神くんは、好意を持つ対象を殺せないと言った」
「ああ」
「どんな目的があれ、たとえ自分がキラだったとしても」
「ああ」
「では、夜神くんが殺す対象は、夜神くんが愛していない人間ということになります」
 単純な証明法。論理的にも倫理的にも間違った理屈。
 竜崎は串をおろして顔を上げた。まっすぐに見据える視線は、やはり意図を読ませない。
 だから、その中にひどく懇願めいたものを感じ取ったとしても、それは月の気のせいだったのだろう。
「一言でいいんです。言ってください、愛していても殺すのだと。嘘でもいい。たった一言です」
 月は唇を噛んだ。怒りは情けなさに圧され、悔しさは辛さで覆われる。こんな状況で何を言えというのだろう。答えは火を見るより明らかだったが、けれどそれ以前に、自分は夜神月だ。
 告げる声音ははっきりと、落ち着き払って。
「言わない。僕は僕の好きな人たちを殺さない」
 宣言に、竜崎はこちらから視線を外した。鉄串を持ち上げると、先ほど皿から弾き出した葡萄を一つ一つ刺し、集め始める。
 そのうちの一粒を気まぐれにかじり、竜崎は、
「そう答えるでしょうね」
 と言い捨てた。
 竜崎がチョコレートフォンデュ攻略を再開してしまったので、月もまたパソコンに身体を戻した。
 文字列をリロードしながら口を開く。
「キラを捕まえたら言ってみればいい。『故郷のお母さんが泣くから自供しろ』って。もしかしたら、あるいは」
「だめです。キラは親でも殺す。愛していようと、いまいと。それが私の考えるキラです」
 一刀両断するかのような返答だった。口をつぐむ。余計なフォローならしないほうがましだったのだろう。
 もうこの話は終わらせるべきだ。遅蒔きながらそう判断し、月は適当に応じた。
「竜崎がそう思うのなら、そうなんだろうな」
「はい」
 それっきり。
 行き詰まりの副産物としてのこの話題は、数多の無駄話に埋もれ、二度と思い出されることはなかった。





テーマは「 『退屈』 ・ 『L』 ・ 『家族』を盛り込んで、ちょっとらぶい話 」でした。
リクエスト御礼申し上げます!



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